ブックタイトル食用油脂入門改定3版

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概要

食用油脂入門改定3版

4立てた有名な逸話の通り油売りは利権ばかりではなく、通行自由の特権の下で各地の情報を収集する力があったのだろう。 この頃になると搾油器も「しめぎ」と呼ばれる楔くさびの力を使った効率の良い製油法が開発された。原料もごまやえごまだけでなく、なたねや綿実が使われるようになり、これらが主役の座にのし上がった。 18世紀の初めには摂津平野で28軒の綿実油屋が軒を連ねるようになり、かつて隆盛をきわめた大山崎などの油座の特権が廃り、油の販売権は大阪の油商人の手に移った。当時、大阪堺港での荷降ろし商品は、米に次いでなたねが第2位を占め、積み出し商品では油が筆頭の座にあったと記されている。さらに、灘地方では水車を使った搾油業が出現し搾油の効率が向上した。? 食用油の品質向上 やがて、幕府の統制令のもとに大阪回船問屋の株仲間が独占的に原料、油を支配する時代になるが、この時期には灘も復権し、大阪を中心に近畿地方の油販体制が確立する。しかし、幕府の統率力の低下や江戸商人の台頭、さらに各藩への搾油の広がりなどによって幕府が地方での搾油を認めることとなり株仲間は崩壊した。 江戸時代は、搾油器の進歩とともに灰直し法という精製法が開発され、色が黒く下等だった綿実油から品質の良い食用油が作られるようになり、用途とともに原料の多様化が進んだ。4  文明開化期のあぶら 明治維新の文明開化は食生活にも大きな改革をもたらし、肉食が広まるにつれてカツレツ、コロッ